本文へスキップ

龍ヶ崎観音は、安産・命名・初詣り(お宮参り)・七五三詣り・子授け・厄除け等のご祈願をしております。

お電話でのご予約・お問い合わせは
TEL.0297-62-2373

〒301-0824 茨城県龍ヶ崎市下町2877-1

  1. トップページ
  2. 龍ヶ崎観音について
  3. 歴史・由来

歴史・由来

ご本尊聖観世音菩薩
龍泉寺(龍ヶ崎観音)は、建立以来貴賎貧高老若男女の別なく篤く信仰されている寺院であり、安置しまつるご本尊は淳和天皇勅願、弘法大師御作の聖観世音菩薩であります。

その由来を案ずれば、平安の昔淳和天皇の御宇(823年〜833年)畿内隣国(京及びその周辺諸国)では難産に苦しむ人が多く、天皇は弘法大師空海(774年〜835年)に勅して、この難を除かんと欲しました。大師はこの危難を救う為に自ら彫刻の志を起こし、日夜大慈大悲の名号を唱えて一刀三礼にして、観世音菩薩の尊像を成就しました。これに依り国中の女人はたちまち安産するようになりました。

然し、東国では未だ難産する者も多く、日光山(栃木県)を開山した勝道上人(735年〜817年)の高弟蓮雪法印は、これを憂い、大師に乞うて観世音菩薩の尊像を東国に移し、そしてこの地に安置して一宇を建立されたのが、龍泉寺(龍ヶ崎観音)の始まりであります。



時は移り、天正年間(1573年〜1592年)。龍ヶ崎城主土岐胤倫公の息女虎姫(お福の方)は、江戸崎城主である兄、治綱公の嫡男頼英公のもとへ嫁ぎ、ご懐妊されます。然し十月臨産に至るも、産の気は無く、身体苦しみ、医薬は尽くし効果はありませんでした。
これを聞いた当時江戸崎不動院住持の慈眼大師天海(1536年?〜1643年。後に徳川三代の加護を受け、上野寛永寺を開山)は、龍泉寺より尊像を請来し、十七日の間城内にて安産の秘法を修し、満願の日に至り、日光の昇ると同時に、玉の様な御男子をご出産されました。土岐氏はこれを喜び、御堂を造立し、お福の方にちなんで、東福山水天院の号を比叡山延暦寺より賜ったと伝えられます。

以来、安産観世音菩薩の信仰は増して諸国に広がり、龍泉寺は龍ヶ崎観音(龍ヶ崎の観音様)と親しまれるようになります。

天台宗東福山水天院竜泉寺光景

近世に至り明治の始め、権僧正晃善は十有余年の歳月をかけ、八間四方の堂宇を建立するも明治十六年、龍ヶ崎町の大火に遭い、焼失します。

その後三度の戦乱による民衆の疲弊もあいまって、永い間本堂の再建はならず、御本尊は仮堂に納められていました。

昭和五十年一月十五日、多くの信徒の御喜捨により、現在の本堂が落成されました。

  宮内庁からの御礼状


後の総理大臣 近衛文麿公爵の請により、昭和天皇妃 香淳皇后の御安産祈願を厳修し奉り、御安産御守を献納いたしました。
大正十四年十二月六日、昭和天皇の第一皇女 成子内親王様(東久邇宮成子妃)を無事御安産なされた際に、珍田捨巳伯爵より御礼状を賜わりました。

shop info.店舗情報

龍ヶ崎観音(龍泉寺)

〒301-0824
茨城県龍ヶ崎市下町2877-1
TEL.0297-62-2373